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ホーム > 作物別情報 > 水稲 > 米づくりQ&A > 昔はどのように名前をつけていたのか?

掲載日: 2022年2月16日

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質問

昔はどのように名前をつけていたのか?

答え

明治時代の記録をみると、こんな品種の名前があります。おそらく、新種の稲を発見した人や、その人の周りの人が名づけたのでしょう。

<1>地名がつくもの

「庄内早生(しょうない わせ)」

「肥後稲(ひご いね)」(肥後とは熊本県のこと)

<2>稲の特徴がつくもの

「赤芒(あかぼう)」「赤芒糯(あかぼう もち)」(モミの先っぽが赤いので)

※「芒(ぼう)」とはモミの先っぽにある毛のこと

「大粒(だいりゅう)」

(米つぶが大きいので。)

「中手坊主(なかて ぼうず)」

(米の実る時期が、早くもなくおそくもなく中くらい(=なかて)で、モミの先っぽに毛がない(=ぼうず)ので)

「四十日(しじゅうにち)」

(花がさいてから収穫まで40日かかるので)

<3>変種を発見した人の名前がつくもの

「代吉坊主(だいきち ぼうず)」

(代吉という人が発見した、モミの先っぽに毛のない品種)

「太郎兵衛糯(たろべえ もち)」「文吾糯(ぶんご もち)」

太郎兵衛とか文吾という人が発見した、おモチ用の品種