掲載日: 2022年2月16日
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昔の人たちはどうやって、稲を病気や害虫から守っていたのか。
日本で米作りが始まったのは縄文時代の終わりから弥生時代にかけてですが、今ふつうに使われている農薬が本格的に普及したのは戦後になってからです。
昔は、どうやって病気や害虫から稲を守っていたのでしょうか。田んぼや畑では、同じ品種の作物が植えられているため、特定の虫や菌が多く発生します。これを人間からみれば、農作物の病気や害虫になります。
そこで、病害虫を発生させないようにするためには、
などのやり方が、昔からおこなわれてきました。
このため、米作りをするうえでは、
(1)塩水を使ってタネもみを選び、底に沈んだ実りの良いモミだけを使います。(これは今でも必ずおこなわれている、基本の中の基本の技術です。)
=>こうすることで、菌があまりくっついていないモミを選ぶことができるばかりでなく、作った苗も丈夫なものができるので、健康な良い苗を田んぼに植えることができます。健康なら病気にかかりにくくなります。(上の<1>と<3>に当たります)
(2)田植えを遅くしていました。
=>田植えを遅らせても、花がさいて米が実る時期はそれほど遅れないので、稲が田んぼに植えられている期間は短くなります。(上の<4>に当たります)
(3)米作りと畑作(はたさく)を何年かに1度交替します。
=>田んぼに住む微生物と畑に住む微生物の種類が違ってくるので、稲がかかる病気の発生を軽くすることができます。また、雑草の害も少なくなります。(上の<1>と<2>に当たります)
(4)あとは、最後の手段として、悪い病気や虫が発生しないように、一生けんめい、神様にお祈りをしていました。
=>昔から農家にとって虫などの被害は、生活をおびやかす恐ろしいことでした。特に、稲を食い荒らす虫は悪霊の化身とも考えられていました。そのため、農作物の被害を少しでも軽くするための方法として、上の(1)~(3)の方法とともに、虫の霊をしずめて、村の外へ送り出す儀式も行われたのです。