掲載日: 2022年2月16日
ここから本文です。
「コシヒカリ」はどうやって生まれたのですか?「コシヒカリ」の歴史を教えてください。
昭和19年に新潟県農業試験場で農林1号を父、農林22号を母としてかけあわせが行われました。
農林1号はおいしくてとれ高も多いが、いもち病という病気に弱い、農林22号は品質がよくいもち病に強いという特徴がありました。
その後、福井県農業試験場で育てられ、昭和28年に越南17号として新潟に里帰りしました。
越南17号はどこで作っても、米のとれ高が安定していて、ごはんの味が良かったのですが、くきが長く倒れやすいうえに、いもち病に弱い欠点がありました。
当時は、ごはんの味よりもたくさんとれることが大事な時代で、どこの県でも見向きもされませんでした。「作り方でカバーできる欠点は、どうしようもない欠点ではない。ごはんの味が注目される時代が必ずくる。」と、新潟県は新しい時代の先を見る目があり、昭和31年に新品種としてデビューさせました。
その年から、この倒れやすいコシヒカリを倒さないように作る工夫が続けられました。
コシヒカリの名は「越の国に光り輝く」ことを願ってつけられました。
そして、ついに、新潟コシヒカリは、新潟県などでの研究・指導が進み、新潟の気候と風土がピッタリと合ったことから、日本一おいしいコシヒカリとなりました。