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新規就農奮闘記2 〔我妻飛鳥さん〕
「自己紹介・農家出身 妻の生い立ち」こんにちは!夫婦で就農した野菜農園 笑伝、妻の我妻飛鳥です。
今回は私の自己紹介を兼ねてこれまでの生い立ちを書かせていただきます。
夫と同じく私も山形県米沢市出身。
二人姉妹で、農家の長女として生まれ育ちました。
幼少期の断片的な記憶では、春になると庭先で田植え準備開始。卵を浮かせて濃度を確認した塩水桶、網杓子で種もみをすくいあげる父。家の前のコンクリートいっぱいに土を広げ、スコップで何度も集めては広げて土づくり。今ほど機械化が進んでいなくて、まだ昭和の空気感たっぷりでのどかな風景を思い出します。
母は保育士としてわりと忙しく働いていましたので、農作業をしている祖母や父にくっついてうちの周りを駆け回る私たち。物心ついた時からそんな環境で、当たり前に田んぼや畑は遊び場でした。祖母と一緒にいっぱいイナゴを捕まえてイナゴの佃煮を作ったり、畑の野菜を一緒に採り、おやつでは採れたて茹でたてのトウモロコシを食べたりと、とにかくよく遊びよく食べる活発な子供でした。考えればあの頃はやっぱりスローライフというのかな?非農家の人が思い描くような理想的な農業というか、主人の思い描いていたのんびりした自由なイメージの農業は、20年以上前ならあったのかもしれません(笑)
月日は流れ、小学校になると農業規模も増え毎年フィリピンから農業研修生が泊まり込みで働きにくるようになりました。最初の研修生は3人。迎える側としても初体験で緊張もある中、英語を教えてもらったり一緒にいろんなところに出掛けたりしたことを今でも鮮明に覚えています。
毎年研修生が来る生活にも慣れ、中学生になるころには部活などで私たちも家の人にくっついて畑や田んぼに行くこともほとんどなくなりました。
その頃からは朝仕事で早朝から出かけ、日中は農作業、会合や会議で夜まで忙しそうな父、畑作業で疲れ果て這う様に帰ってくる祖母。研修生も毎日働いているので、週末家にいても気が休まらずに嫁として家周りの仕事をする母。
戦後の百姓として当時うちに来ていた奉公人の話などを親戚などから聞いたこともありましたが、いつの間にか現代としても大農家になっていた我が家は、気づいたらスローライフとは全くかけ離れていました。
父は常に頭は仕事でいっぱいというタイプで、家族で出かけてものんびりすることはほぼなく、どこに行っても仕事が気になり「早く帰るぞ」せかされるのがほとんど。
農業は自由なだけあって、自分がどれだけやるかがすべて。それで生活がかかっているのですから、やはり早く帰って仕事をしなければと思う気持ちも就農した今では理解もできますが、やはり子供ながらにそういう気の休まらないお出かけはあまりいいものではありませんでした。
高校・社会人になるころにはただただ慌ただしい農繁期の張りつめた空気を肌で感じていた私は農業って楽しそう、面白そうとは全く思えなくなっていました。
卒業後は早く自分で自立したくて就職。社会人になりたての頃は自分の稼いだお金を貯めて旅行や買い物、そういう感覚が楽しかったですね。好奇心旺盛な私は一人でバックパッカーになったりして(笑)
海外に一人暮らししてみたいと昔から言っていたくらい、違う環境での生活に憧れていたのですが、いざ実家を出て一人暮らししてみると、残された母や父が気になってしょうがなく、長くは続きませんでした。大人だけでさみしいかな、味気ない毎日かなとか。
妹はそんなこと全く感じなかった事はなかったようで、こういうところが長女の宿命なのかとすら感じたくらいです。
もう私の手にはおえないくらいの大規模農家になっていたので、自分がそれを継ぐことは難しいだろうとは思っていましたが、実家に誰も残らないのも・・・という葛藤は独身時代ずっとありましたが、これも長女のサガでしょう。
そして数年後まさか地元の同級生と結婚することになるとは全く思いもしませんでした。
同級生といっても特別仲良かったわけでもない主人と、大人になってから縁があり結婚することになりました。お互い長男長女で悩みに悩み、泣かれながらも私が嫁に行くことに。嫁ぐといってもすぐ近くなわけですが・・(笑)
幸せな結婚生活の始まり・・・のはずが、結婚してすぐは一緒に生活できる喜びより実家に申し訳ない気持ちの方がはるかに上回っていました(汗)
そんなこんなで会社員をしながら慣れない家事育児に奮闘していたある日、仕事から帰ってきた主人が「会社倒産したって。」と。
今思えば、これが主人の熱い農業人生スタートのゴング・・・??
最初「いずれ農家継ぐなら早いうちに」と農業をやるといい始めた主人に私は猛反対。
跡継ぎがいない私の実家を心配してそう考えてくれていたのはうれしかったのですが、彼は絶対スローライフをイメージしているだろうと思っていましたから(笑)
主人のおかげでずっと消えなかった実家への罪悪感はだいぶなくなりましたが、ギャップに直面する主人と上司となった実父の間で心労は増えました。
が、この時は私も会社員だったし、生計を別に持つ私たちを考慮して実父も給与は月給制にしてくれていたので、ある程度生活の保障はあり、心労といってもまだ序の口だったのかもしれません。いずれ自分も一緒に農業をするとは思ってもみずに・・・。
独立場面へと続く。
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更新日/2018年 3月 27日
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